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ほとラボ

It works!

いま結婚する意味

リアル知り合いの方々には Facebook でお騒がせしていますが、先日結婚しました。

雑なノリでウィッシュリストを公開したところ、思っていた以上にたくさんの方からお祝いの品をいただいて感謝感激雨あられです。この場を借りてお礼申し上げます。

結婚の報告というだけでは味気ないので、2015年の振り返りも兼ねて(?)僕の結婚観についてまとめました。

書いてから「誰得なんだこれは」って気づいたけどまぁ書いてしまったものはしょうがないので公開します。 年末年始でどうしようもなく暇なときがあればご一読ください。

なぜ結婚したか

結婚してみて、周囲から予想外な反応がいくつかありました。

「自分(男)からプロポーズしなくてよかったの?」(嫁からプロポーズされた)
「お前は当分結婚する気がないのかと思ってた」

などなど。

「誰と」結婚するか という意思決定は超重要なので慎重に考えますが、「いつ」「どのように」は割とどうでもいいことだと思っています。 ちなみに僕は「誰と」に関しても特に悩むことがなく、付き合い始めた時点で「まぁこの人と結婚するだろうな」という謎の確信があったので、そういう人と出会えたというのは運が良かったとしか言いようがないです。

もともと結婚したいと思っていて、
「誰と」に既に答えが出ていて、
「いつ」「どのように」に全くこだわりがない。

この三拍子が揃っていて 「よーしもう結婚しちゃうか〜〜〜 ₍₍⁽⁽(ી( ・◡・ )ʃ)₎₎⁾⁾ 」 という気持ちになったのが結婚した理由です。

式は挙げません

「式挙げないの?」とかなり多くの人に訊かれますが、挙げません。

結婚式・披露宴は、個人的には「当事者がやりたいならやればいいんじゃ」程度のものだと思っているのですが、 「(普通はやるであろう)結婚式・披露宴をやらないなんて珍しいですね!」という反応が意外と多くて驚きました。

正直、結婚式・披露宴というのはそうそう気軽にできるイベントではないと思っていて、貴重な時間と高いご祝儀を頂くならばそれに値するほどの超おもしろイベントを主催して然るべきなのですが、今の僕にそれを成し遂げる自信はありませんでした。 あと二人とも普段からスポットライトを浴びるような主役キャラではないですし、プロポーズされたイベントのときに珍しく主役をやってだいぶお腹いっぱいになったので当分はいいかなという気持ちです。 「結婚式呼んでね!」と言ってくれた方々には申し訳ないですが、そういう感じです。

個の時代の結婚観

「結婚って何の意味があんだっけ?」という話を長々とします。 (このへんは持論です。というか空想です。ちゃんとした裏付けがあるわけではない話です。)

結婚観というか、「人の生き方」というものは昔(100年以上前)と今とではだいぶ違っていたんだろうと想像しています。

はるか昔の価値観では、「その人の人生はその集落(コミュニティ)のもの」でした。

なぜなら、所属するコミュニティの意に反することは死を意味していたからです。 一度コミュニティから追い出された者は社会的な信用を失い、生きていくことが困難になりました。 コミュニティが絶対であるがゆえに個人の意志に価値はなく、コミュニティ全体でひとつの意思を持つ生命体のようでした。

そのため、「結婚」のようなイベントはそのコミュニティ(地域・家系)全体に関わる一大イベントでした。 「許嫁」のような風習もそういった背景から生まれた文化なのだろうと思っています。

しかし時代が経つにつれて暮らしが豊かになり、地域や家系に縛られないコミュニティが増え、どこに所属するかは個々人が能動的に選択できるようになりました。 たとえ家を追い出されたとしても、どこかしらかのコミュニティに所属して生きていくことができるようになりました。 それに伴って「意思」の単位も「集落」から「一族」「家」と徐々に細かくなっていきました。 「◯◯村の繁栄のために」「◯◯家の繁栄のために」という価値観から、「自分の人生を幸せにするために」という価値観にシフトしていきました。 今や「その人の人生はその人自身のもの」という個人の時代です。

「地域」や「家系」といった括りは「いくつもあるコミュニティのひとつ」に過ぎない存在になり、それに代わって「個人の意志」がより重要になりました。 だから、結婚の在り方もそれに合わせて変わっていっていいと思います。 結婚は「家と家のお付き合い」ではなく、あくまで「個人と個人の出来事」です。 そういう意味で、現代における結婚は昔ほどの重さはないと思います。

意思表明としての結婚

「じゃあ個人が主体となったこの時代に結婚というイベントの意味はないのか?」というと必ずしもそうではありません。

結婚の本質は「誓い」、つまり公に意思表明をすることに大きな意味があります。

何かしらについて「やるぞ!!」と公に宣言すると「よっしゃ応援したる」と誰かが賛同してくれる、という流れは世の中の至る所で起きていることです。 仕事のしかたとか、投資とかもだいたいそんな感じです。 やると宣言することで応援してもらえる。 ただしやると言ったからには必ずや達成しなければならなくて、様々な見返り(応援など)が得られるのはその責任を負うことによる対価です。

結婚も同じで、「自分はこの人と添い遂げるぞ」という意思を、自分に・相手に・社会に対して表明することによって、 祝福してもらえたり、法的な優遇が受けられたり、社会的な信用を得られたりするのだと思います。

一時は 「結婚って昔ほど一大イベントじゃなくなったし、既に同棲もしてるから実生活に何か変化があるわけじゃないし、もはや結婚ってしてもしなくても大して変わらないのでは?」 とさえ思っていましたが、やはりその意味は大きいです。

世の中というのは、こういうポジティブな期待の連鎖によって回っているのだなぁと実感します。

まとめ

「結婚に伴って何をするか」は、昔に比べるとだいぶ自由に自分たちでハンドリングできるような時代になったと思います。

慣習に囚われすぎずに、しかしお世話になった方々への感謝を忘れること無く、自分たちなりに「結婚」というイベントをアレンジしていけばいいんじゃないでしょうか。