ほとラボ

It works!

安直に「正しさハラスメント」と批判するのは無神経じゃないか

emokuaritai.hatenablog.jp

この記事を読んで、強烈に違和感を覚えた。

違和感を覚えただけなら「自分と違う考えを持つ人なんだな」で済ませればよかったが、今回はそうはできなかった。

上記の記事は、良い行いをしている人を「正しさハラスメント」という言葉で批判しているように感じたし、その思想が広まることはエンジニア業界、ひいては自分にとっても不利益になりかねないと思った。

もしかしたらそこまでの意図はなかったのかもしれないが、少なくともそう誤解させるような言い回しを含んでいた。

正直言って迷惑な記事だし、あの記事をシェアして「わかる」とか言ってる人も無神経極まりないと思ったので、この文章を書いている。

「言い方が悪い指摘」問題

今回、IT エンジニア界隈において技術的誤りを指摘する行為、いわゆる「マサカリを投げる」ことについてあれこれ意見を書いているが、その前提として、技術的誤りを指摘する際には

  • 人格攻撃をしない (エンジニアに限らず常識)
  • 良い部分・正しい部分は認める
  • 初学者であれば初学者にわかりやすいような言葉・手段を選んで指摘する

などといった配慮は必要だし、そういった配慮がない「言い方が悪い指摘」問題というのは別問題としてある。

しかし上記の記事では、「言い方が悪い指摘」だけではなく「正しい指摘」までも「正しさハラスメント」として批判しているように感じた。

「言い方が悪い指摘」は論外である ということを踏まえた上で、「正しい指摘」までも批判することはないんじゃねーの、と言いたい。

エンジニアリングと不寛容

冒頭で「不寛容社会」について言及されていたが、それ自体には特に言うことはない。 確かに近年では不寛容な出来事が多いし、僕たちはもうすこし寛容になるべきなのかもしれない。

しかしエンジニアリングに限って言えばそうではない。 インターネット上の情報の誤りを指摘することは掛け値なしに素晴らしい行いである。 正しいマサカリを投げる人はノイジーマイノリティなんかではない。

その理由をふたつ書く。

1. エンジニア文化のため

エンジニアには「技術的正しさが何よりも尊重される文化」があると思う。

その文化があるからこそ、若手であっても怯むことなくベテランエンジニアに噛みつくことが出来る。
その文化があるからこそ、面倒なことを気にせず真っ直ぐに良いエンジニアリングを追求することが出来る。

僕の前の上司が「技術の前ではみな平等」という言葉を言っていたのだけれど、本当に的を射ていると思う。 僕はこの文化が素晴らしいと思っているし、守っていきたいとも思う。

「正しいマサカリでも傷つくからやめて」というのは、つまり「空気読め」ということであり、この素晴らしいエンジニア文化とは相反する。 少なくとも僕は、過剰に空気を読まなければいけない業界で働きたくはない。 「空気読め」が当たり前な文化にしてしまうと、「空気を読むコスト」がかかる分だけ業界の成長スピードが遅くなるし、業界を衰退させる要因になる。

さらに言えば、「正しいマサカリ」で嫌な気持ちになることなんてそんなにあるのだろうか。 それは結局「言い方が悪い指摘」問題に帰着するだけなんじゃないだろうか。 「正しさハラスメント」という言葉は、問題を履き違えているだけではないか。

2. インターネットのため

「現時点では重要ではない指摘をする必要はない」という言い分はわかる。 社内のコードレビューであれば「君のコードには実は脆弱性があるんだけど、それは追々学んできましょうか」だけで済ませても良いかもしれない。

しかしインターネットに公開される情報となると話は別だ。

誰が見るのかわからないのだから、間違った情報を放置すると誰かが真似して事故るかもしれない。 だから、インターネットに情報を公開するなら精一杯正しいと思うものをアウトプットすべきだし、間違っていた場合の指摘を受け入れるくらいの気持ちは持つべきだと思う。

初学者にとって、

  • 誤った情報だらけのインターネット
  • 誤った情報に指摘をしてくれる人がいるインターネット

のどちらがタメになるか、考えるまでもないだろう。

現時点でインターネットは誤った情報が溢れているし、誤った情報を公開してしまうのを回避することは出来ないけれども、誤りを誤りと指摘することで「少しでも良いインターネット」にしていきたい。

その気持ちを「不寛容」の一言で片付けてしまうのは、あまりにも雑じゃないだろうか。

批判する対象を間違えないで欲しい

「正しさハラスメント」というのは確かに存在すると思う。生きていくのが精一杯なストリートチルドレンに「万引きをするな」と言うのは野暮な指摘だろう。

しかし「インターネットに公開されている」「技術ネタ」に限って言えば、誤りを指摘することは何もハラスメントではない。 それは正しい行いなのだから批判するべきではない、本当に批判すべきは「言い方が悪い」一部の人のみだ。 ということをここまで述べてきた。

もしかしたら、本当に心が弱くて「正しい指摘をされるのですらつらい」という人がいるのかもしれない。 そうだとしたらそれはもう仕方がないことだと思う。 人の弱さそのものを責めることはできない。

しかし自身の弱さからつらい気持ちになったとしても、それで良い行いをしている人を批判するのは、あまりにも筋違いじゃないだろうか。

本当に「不寛容」なのは一体どちらか。